思いつくままに日暮らし

とりあえず始めて何も決まっていません。思いついたことをあれこれ書いていく予定です。

エアコンを買いに


去年の夏、「最近エアコンの効き悪くない?」と思い、めったに掃除しない室外機を掃除してカバーをかけてみたりしたけど、改善しない。(本体は定期的にメンテしている)

まぁ、それもそうか。何と言っても20年選手のエアコンなのだ。これまでよく頑張ってくれたと言うほかない。
それで去年からエアコンが安くなる3月になったら買おうと思っていた。
この冬はなんとか乗り切っておくれ~と願いつつ過ごした今年の冬。エアコンはなんとか頑張ってくれた。

 

そして昨日、いよいよエアコンを買おうとお店に出向いた。
お店につくと『今日がエアコンの底値です!』とののぼりが立っている。めっちゃええタイミングで来たなぁと喜びつつ、エアコン売り場へ。
夫とわたしに買う気がみなぎっていたのか、さっそくお店の方が声をかけてくる。

「何かお探しの商品がおありですか?」
「いえ、特にないんですけどね」と言いつつ、本音はダイキンうるるとさららちゃんが気になっていた。
さりげなく値段をチェックすると、わたしたちの欲しい畳数に対応している商品は40万近くしている…(高っか!)と心の中で、と言うかちょっと口に出して叫んでしまう。

「いや~エアコンを買うなら今日はほんまにおススメなんですよ。決算セールとメーカーのキャンペーンが重なってましてね」
「あ~そうなんですね」
「今お使いのエアコンがどんなのか分かったら具体的な提案をさせていただけるんですけど」
「いや、実はもう20年も使ってるエアコンやから、今のとは比較にならないと思うんですけどね」
「20年!!それはすごいですね!ちなみにメーカーは…」
パナソニックです」
「20年前やったらナショナルかもしれませんね」
「いやいや、さすがにそれはなかったんちゃうかな。パナソニックやったと思います」
などと会話をしていて、結局取説の写真を家にいる次女に送ってもらうことになった。

そして送られてきた取説の写真を見ると右上に赤字でしっかりと「National」の文字が!

「うわ!ホンマや、ほんまにナショナルでした」
と店員さんと大笑い。
「なんか恥ずかしいです」
「いえいえ、すごいですよ。物持ちがいいと言うか…」
というどうでもいいやり取りをして、結局東芝がキャンペーンを張っていて、新型にも関わらず大幅値引きをやっている商品にしようということになった。

 

「おかしな話なんですけど、この土日だけ旧型より新型のほうがお安くできるんですよ。東芝さんも決算ですから新型の売れ行きを好調に見せたいんですよね」
「なるほど、大人の事情ですね」

その後やんわりと値引き交渉をして、予算内で無事エアコンを買うことができた。

キャッシュバックやポイントもつけてもらって大満足。

ネットで買ったらいくらだったのかしら?とチラッと思ったけど、店員さんも知識豊富ないい方だったし、やっぱり実店舗で買う安心感は捨てがたいと思う昭和気質なわたしだった。

スタインベック短編集


寒さのぶり返しに身が縮こまる日々。
ついつい前かがみで姿勢悪く歩いていると周りの景色も目に入らない。しかし車を運転していて信号で停車中に道沿いの桃の花(多分、花には本当に疎くて…)がほころんでいるのが目に入り、わぁ!と少し明るい気持ちになる。
春はもうそこまで来てる!

 

最近はスタインベックの短編集を読んでいる。
わたしは基本的に短編が好き。長編を読むのは気合がいるし、時間もかかる。
短編は長編と違って、尻切れトンボになりがちで「?」な話も多いけど、そこが好き。これってどういう話だったのかなぁと考えるのが面白い。

 

この短編集も「?」な話が多くて、「ちょっと意味が分からない」と思うものもあるけど、その何とも言えない中途半端さがいいよね。

 

今回読んだ短編集には全部で13篇の短編が収録されていた。タイトルもずばり「スタインベック短編集」とシンプル。特に表題作もない。

スタインベックの「怒りの葡萄」と「エデンの東」は昔読んだことがあって、こちらは大長編なのだけど(若い時は長編ばかり読んでた)、とっても感動した記憶があって、にも関わらず内容はあまり記憶がない。
また機会があれば(多分ない)読んでみたい気持ちはあるけど、あの長編を読む体力はもうないかも…。

というわけで(?)、今回はこの中から二つほど感想を書いてみようと思う。

 

『菊』
農場生活を送りながら花づくりに生きがいを見出している女性のところに行商の男が通りかかる。男は鍋の修理や刃物研ぎを生業としている。二人は女性が育てている「菊」のことで盛り上がる…。

 

このお話は読んでいる途中で展開が見えてしまう。そしてそうはなりませんようにと思うんだけど、そうなってしまうという…。女性の一瞬の高揚とそれに冷や水を浴びせるような出来事。
こういうことってあるよね~って、ちょっと悲しい気持ちにさせられるけど、まぁそれも人生やなぁと思わされる話。

 

『蛇』

研究所で実験をしている博士のもとへ女性が「蛇を売ってほしい」とやってくる。彼は毒の採取のために飼っているガラガラヘビを売ってやることにする。女は蛇にしか興味がなく、博士の実験にはまったく興味を示さない…。

 

これは、けっこう不気味な話だった。博士の研究所にやってくる人はたいてい実験や顕微鏡を覗くことに興味があるのに、女はそれらに興味がない。そして蛇がねずみを食べるところが見たいと言う。実験のためには平気で動物を殺める博士もなぜか女の要求には抵抗を覚える。

ただただ蛇がねずみを食べるところを見たいという女…しかもその蛇を自分のものにしたいという謎の欲求。
博士も女といて気分が悪くなってるのに、なぜか最後に「コーヒーでもいかがですか?」とか勧めるところも謎。わたしなら一刻も早く帰ってもらいたいわ。

なかなか意味不明な話だったけど、いろいろ考えが膨らんで面白かった。

 

相変わらずつたない感想ですが、お付き合いくださりありがとうございました!

読書感想文『BUTTER』


最近読書習慣が少しずつ復活してきたので、ちゃんと感想もブログに残していきたいところだけど、それがなかなか…。
思ったことをちゃんと文字化するのってむずかしい。

 

というわけで、つたないながらに感想を書いてみる。
今回読んだのは『BUTTERバター』という柚木麻子さんの作品だ。柚木さんのことは全く知らなかったのだけど、たまたま続けて彼女を目にする機会(ラジオとテレビ)があって興味を持ち、作品を初めて読んでみた。

 

この作品は「首都圏連続不審死事件」(木嶋佳苗の事件といったほうが分かりやすいかな?)を基にした小説で、主人公は木嶋(作中では梶井真奈子)の事件を追っている週刊誌の記者、町田里佳。

 

実際の事件をベースにしているとは言っても内容は完全なフィクション。
以下、かなりざっくりとしたあらすじ。


梶井は婚活サイトで知り合った男性から金品を巻き上げ、最終的には3人を殺した罪で拘置所に拘留中の身。そこへ記者である里佳が会いに行く。梶井は大変な美食家で逮捕されるまで書いていたグルメブログも事件をきっかけに話題となった。
梶井は幼いころ近くに酪農場があった影響から乳製品、特にバターにはこだわりがあり、美味しいバターを食べるように里佳にも言う。

タイトルにもなっているバターは作品の中ではとても象徴的な存在で、バターを中心とした食を介して、里佳は梶井の人となりや事件の全貌に迫っていく。
そういったなかで、親友の伶子や恋人である誠、家族との関係も変化していき、自分自身の人生にも梶井が大きな影響を与えていく。

 

と、すごくざっくり書くとこんな内容。500ページ超えの長編なので中途半端にいろいろ書くと、とんでもない分量になりそうなのでこのへんにしておく。

 

この梶井という女性が最初はモンスターのように描かれる。自信たっぷりで、食べることにどん欲。そのため体型もかなりふっくらしている。自分は本物が分かる人としか付き合いたくない、マーガリンを食べるような人間とは話もしたくないといった感じ。

 

しかし取材を進めていくうちに、自信家の一面だけでなく、彼女の劣等感や世の中への不満などが見えてくる。
そして次第に、梶井自身というよりも彼女の周りにいた人々、彼女の家族や知り合い、被害者の家族といった人たちへと話の軸は移っていく。

 

一つの事件があると、当然その事件に巻き込まれる人たちがたくさんいるわけで、この小説はむしろそういった人たちに焦点をあてて、その人たちがどんな思いで事件と向き合い、人生を歩んでいるのかを書いている。

 

そして事件に巻き込まれながらも自分の人生を必死で生きようとしている人たちへの温かい眼差しを感じる。

 

とにかくストーリーが面白い。長編は苦手なわたしでも割とスラスラ読めたので、お時間があったら是非。

元気だしていきましょう

長女の金沢旅行のお土産。金箔入りの梅酒。飲んだら元気になりそう


うっとうしい雨の日が続くせいか、冬の寒さによる疲れのせいか分からないけど、なんだか眠くてだるくてやる気のでない日が続く。


ブログについても人様のブログを見て楽しむのが精一杯といった感じで、書こうという強い気持ちが湧いてこない。一年に何度かこういったローな状態になるけど、やっぱり季節の変わり目は自律神経が乱れやすいんだと思う。

 

継母、義両親ともに健康問題を抱えていて(わたしの父だけ元気)それも気になるし、この年になるとまわりから聞こえてくる話は気の滅入るものも多い。

と、ここ数日ウダウダ過ごしていたんだけど、インテリアを披露されているブログを見て、その春を感じる飾りつけに明るい気持ちにしてもらった。様々な一輪挿しや鮮やかなチューリップの花を見て、そうかもう春がきてるんだ!と嬉しくなった。

 

パート先の塾のほうでは、子供たちが新年度のメンバーに2月から入れ替わった。子供の順応力は素晴らしく、みんな塾にももう慣れたようだ。
とにかく新2年生(といっても実際はまだ1年生)は可愛らしい。素直だし、無垢な目で「先生」なんて呼ばれると、もう気持ちはおばあちゃん。
分からないところを教えてあげると「そっか、分かった」なんて言って嬉しそうにしてる。学校でのことや、他の習い事の話なんかも一生懸命してくれて、その話しぶりが本当に純粋で可愛い。

 

ただ、一つ驚くのは最近の子たちは本当に忙しいということ。低学年から塾に来ているようなお子さんたちだからなおのことそうなのかもしれないけど、1週間のスケジュールが土日も含めほぼ埋まっている。英語教室や学研に行ってから塾にくる子もザラにいる。小学校で勉強して、その後お勉強系の習い事2つって…。わたしのような怠け者には考えられない。

 

大学生と高校生の我が娘たちに話すと「うん、そんな子普通にいたで、わたしらの時代にも。うちぐらいやで、たいして習い事もせず塾にも行ってなかったのは」と言われた。
「もしかしてもっといろいろ習い事したかった?」と聞くと、「ママの子供やからそんなわけないやん」と言われた。気を使ってくれたのかもしれないけど、それならよかった。

 

春も来たし、わたしも塾の子たちを見習って元気だしていこう!

手仕事を探して


『手仕事を探して』このタイトルを見て、いろんな手仕事を巡る旅のようなものを想像された方には最初に断っておきたい。まったくそういう内容ではありません。

 

先日藤田嗣治の「手紙」と「手仕事」を中心とした展覧会に行った帰り、次女と待ち合わせて京都駅周辺を少しぶらついたことを前回のブログで書いた。

 

minagu.hatenablog.com

わたしは食器売り場をうろつくのが好きなので、その時も伊勢丹の食器売り場をうろついていた。(めったに買わない)
するとラトビアの人々の手による素敵な雑貨が期間限定で販売されているではないか。かごや小物入れ、ミトン、コースターやマトリョーシカなどさまざまなものが売られていた。どれも温かみがあって、でもなかなかおしゃれで、キッチンにあると心躍るようなものばかり。
どうしても何かほしくなり、さんざんうろついた結果、上の写真のミトンを買った。
普段なら買わないような値段だったけど、展覧会に行ったばかりで「手仕事」に取り憑かれていたこともあり、ついつい買ってしまった。

こうしてキッチンにぶら下げて「可愛いなぁ」と楽しんでいる。
花柄を次女、魚の柄をわたしが選んだ。

 

以来、買うだけでなく自分でも「手仕事」とやらをやってみたくなっている。
ただわたしは不器用で、裁縫や編み物が苦手。編み物は一度知り合いに習ってみたけど、左利きということもあって、右手でやるのを見せてもらってもよく分からない。むこうもわたしの飲みこみの悪さに匙を投げたのか、声をかけてくれなくなった、という苦い思い出があるので、やる気になれない。

 

不器用なわたしでも気楽にできて、なおかつそれなりに見た目よく仕上げられるようなものってないかな?
作る工程も楽しく、できあがったものが日常で役に立ったら嬉しい。
楽しむかどうかはわたしの心がけ次第だろうけど、根気がないからあんまり手間暇かかると楽しめない自信がある。

と、この世に存在しないかもしれない夢の手仕事を探している。
何か見つかればまたブログで紹介しようと思うけど、その日が来なくてもそれはそれでご愛敬ということで。

大山崎山荘美術館に行く

2024/2/18(日)

大山崎山荘美術館に行った。
前々から行ってみたいなぁと思いつつ、なぜか行く機会がないままだった美術館。ここで藤田嗣治の展覧会をやっているということを、読者登録させてもらっているブログを読んで知り、「これは行かなくては!」と行ってきた。

初めて降り立つJR山崎駅。まずは駅前のカフェでランチ。

家庭的な味付けで美味しかった♪

腹ごしらえも済んだところで美術館へGo!美術館は駅から距離的にはそんなに遠くはないんだけど、かなり急な登り坂。運動不足のアラフィフには厳しい道のりだった。駅から送迎バスも出ているけど、なんせ本数が少なくだいぶ待たなくてはいけなかったので、腹ごなしに歩こうと思ったんだけど、ちょっと後悔したわ^^;

山荘美術館というだけあって、山の中にあり、もともとはどなたかの別荘だったよう。とても素敵な建物だった。

https://www.asahigroup-oyamazaki.com/about/history/

美術館への入り口にあるトンネルにも趣が…(左側)

今回の展覧会は藤田の書いた手紙やさまざまな手仕事からその人柄を探るといった趣旨の展覧会だったので、数多くの手紙が展示されていた。
とても筆まめな人だったようで、どの手紙やはがきも小さな字でびっしりと書かれていた。多くの手紙にイラストが描かれていたんだけど、それがまたおしゃれ。
今どきのファッション誌に載っていてもおかしくないようなおしゃれなデザイン画や人物が描かれていて、全然古臭くない。本当におしゃれな人だったんだなぁと感心した。
自分の描いた絵の額縁も自分で装飾したり、とにかくまめな人だったようで、きっと手仕事がほんとうに好きだったのね。
展示を見てると手仕事を一切しないわたしでも、なんか手仕事をしてみたいなぁと思った。といっても裁縫なんかはまったくできないので、なにか他の事。これから探してみよう。

美術館のテラスからの眺めも素晴らしく、朝は小雨のぱらつく天気だったけど昼からは晴れてきてとても暖かかったので、ゆっくりと楽しむことができた。

美術館を満喫してさあ帰ろうか、とまたあの坂を歩くのかぁと思ったけど、トンネルを抜けるとそこに無料の送迎バスが!おかげで帰りはらくらく駅に到着できた。

その後京都駅まで戻り、京都駅近くの予備校で模試を受けていた次女と合流。
少しブラブラした後、晩ごはんを地下街のポルタにある『Gold』というフレンチ居酒屋で頂く。

r.gnavi.co.jp

なんだか面白い名前がついていたカクテル。レモネードが入っていると書いていたのにこんな色だったからびっくりした。

今日は美術&外食と主婦にとってはとーーーーっても贅沢な日を過ごさせてもらった。
美術館でもらった立派なリーフレットも読むのが楽しみ。

レオナルド・ダ・ヴィンチを尊敬していたらしく、洗礼名にレオナルドとつけたんだとか。右下の小さいマグネットは購入したもの(藤田と言えば…の猫ちゃん)

 

言っちゃおしまい

今週のお題「ほろ苦い思い出」

ほろ苦い思い出…というと恋愛がらみの素敵な思い出でもあればいいのだけど、あいにく人様に語って聞かせるような素敵な思い出が思い出せない。
何かあったと思いたいけど、そもそもがあまり恋愛体質ではなく、学生の頃からバレンタインで騒いでる友達を横目に見てるタイプだった。

人生で3度はあるというモテ期。


2度は自覚がある。一度目は幼稚園の頃。自分で言うのもなんだけど、幼いころはニコニコ笑顔の愛らしい女の子だったので、母曰く「いつも男の子と一緒だった」らしい。
まぁ、兄にくっついて遊んでいたのでその影響もあると思う。

2度目は社会人になって最初の数年。
若い女の子って誰しもちやほやされるものだと思うけど、わたしもちやほやしてもらった。

3度目はまだ来ていない。もしかして老人ホーム(って今は言わない?)に入った暁に来るのだろうか?

 

…とほろ苦い思い出はどうなってん?と言われそうだけど、わたしのほろ苦い思い出はある女性との友情が壊れた話。

 

彼女はわたしが社会人になって4年目頃に出会った。わたしの働いていた職場に彼女がアルバイトとして入ってきたのだった。
彼女はわたしより一回りほど年上だったけどなぜか気が合って、よく二人で飲みに出かけた。彼女はお酒が強くて、もっぱら飲む専門。だからお料理のほうは「食べ食べ」と言ってわたしに勧めてくることが多かった。(わたしが若いからというのもあったかも)

 

あまり食べないにも関わらず「美味しいもん食い」で、今じゃとても行けないような和食のお店にも二人で何度か行った。おまけにとっても気前のいい性格で、とにかくおごりたがる。とはいえ高い時は一人2万円のお会計になることもあったので、さすがにまるまるおごってもらうことはなかったけど、いつも余分に出してくれた。

 

わたしには姉がいなかったので、彼女はわたしにとって「お姉ちゃん」みたいな存在だった。当時わたしは結婚したばかりでまだ子供はいなくて、彼女のほうも結婚10年ほどたっていたけどお子さんはいなかった。
「できなかった」のか「欲しくなかった」のか。その点はよく分からなかった。
こちらから聞くことはできないし、本人もはっきりとは言わなかった。ただ、彼女から不妊治療の話などを聞いたことがなかったので、どちらかと言えば「生まない」選択をしたんだろうなと思っていた。

 

そんな風に4~5年たったある年、わたしは妊娠した。彼女はとても喜んでくれて「わたし、おばあちゃんになるからな」と言ってくれた。それからはわたし以上のはしゃぎようで、本当に生まれてくる子が自分の孫でもあるかのようだった。
その気持ちは嬉しかったけど、負担でもあった。わたし自身は子供が生まれるのは楽しみであると同時に不安もあった。実母は亡くなって父も再婚していたし、義両親も頼れないことは分かっていた。一人で育児をすることに対する漠然とした不安があった。
出産そのものも怖かった。だから彼女がただただ赤ちゃんが生まれてくるのを楽しみにしているのがなんだか能天気に思えて、ついイライラして言ってしまった。

「そんなに子供が好きなら、なんで生まへんかったん?」

 

なんて無神経なことを言ってしまったんだろうと思う。言った瞬間に『言ってはいけないことを言ってしまった』と思ったけど、もうどうにもならない。
彼女は明らかに傷ついていた。

その後も彼女は普通に接してくれた。でも、以前のような親しさが二人から失われたのは明らかだった。

 

たった一言が何年もの友情をぶち壊してしまった。
わたしにとって初めての年上の友達はこうして去っていった。その後出産を機に退職したわたしは彼女と個人的に会うことはなかった。

以前の職場のメンバーが飲み会をするから「育児の気晴らしにおいで」と言って誘ってくれた飲み会に参加した時も、「お子さんどうや?」と聞いてくれたけど、やっぱり以前のような近しさはなかった。
そうだよなぁと思いつつ悲しかった。

ほろ苦いどころか、かなり苦み走った思い出だけど一つ教訓も与えてくれた。
当たり前のことだけど、「それを言っちゃおしまいよ」なことは言わないこと。言ったことが当たってるかどうかは関係ない。やっぱり言っちゃいけないことはある。

以来子育てでは気を付けてやってきた。言葉一つで失ってしまう人間関係。親子だからといって遠慮なくズケズケ言い過ぎないようにしている。
子どもたちにはこのエピソードは話せていないけど(コンプラの厳しいご時世に慣れている子供たちに聞かせたらわたしの人間性疑われちゃう💦)「一回の失言で人間関係失うから気をつけて」と言っている。(どの口が?)

まあこれも親心ということで言わせてもらおう。