最近やたらと物寂しい。
秋だからか、先日の家族旅行で父が思っていたより衰えてきていることにショックを受けたせいか、50代にして節々が痛いせいか…
原因不明だけどとにかくなんだか寂しいのである。
「最近なんか物寂しいねん。人生の黄昏時って感じやわ」と高校生の次女に言うと
「ママ、まだ早いで。わたしが自立するまでは元気でいてや」と言われる。
「そうやんなぁ、気を持ち直すわ」と返事して、気合を入れ直す。
そう、まだ次女のお弁当も作らなあかんし、ブラウスにアイロンもかけなあかんし、母としてまだまだ現役なのだから、黄昏ている場合ではない。
そう分かっているけど、なんか寂しいのよね。
わたしでこんな気持ちになるなら、80代の父はよほど寂しい気持ちになるだろう、と思ってしまう。
その点、義両親は先祖代々の土地に住み続けているおかげで、まわりに幼馴染(あちらでは『兄弟分』という)やら親戚やらがたくさんいて、遊び相手に困らない。
「今日は日帰りで温泉行ってきた」とか
「家でカラオケ大会や」と楽しくやっている。
それに義母は現役で働いているから忙しく、寂しいなどとたわけたことを思っている暇はないだろう。
そう、すべては暇が悪いのかもしれない。
忙しかったら余計なことを考える余裕がないから。
でも…こういう気分に浸るのも必要なことかも、と思ったりする。
普段はあまり「もののあはれ」を解さないわたしだけど、たまには来し方を振り返り、人の気持ちに想いを馳せ、人生をかみしめてみたい。
ま、たいした人生じゃないんだけど、誰でも自分の人生の主人公だからね。
一方で他人の人生の脇役であるという謙虚さも持っていたい。
…と何が言いたいのかさっぱり分からなくなってしまったけれど、秋っていうのはやっぱり人を物思いにふけさせる季節だなぁ、としみじみ思うここ数日だった。